2015年もIngressをやっている自分が想像できない

汚いデスクの上で作業する会社員

昨日、愛用していたiPhone4sの背面ガラスにヒビが入った。悲しかった。同時に、いままで大切にしていたものが急にゴミの一歩手前にまで沈んだような感覚を味わった。

それは夏休みの高揚感と8月31日の絶望を思い起こすような感覚。いつかは来てしまう夏の終わりが永久に来ないような錯覚を、自分は何度も繰り返してきた。いまは8月15日なのかもしれない。

自分のIngressにも8月31日はくるのだろうか。

学生時代の遊びは周期性があった。季節によって遊びは代わり、学年や学校ごとに変わっていく。あるときはポケモンだったり、あるときは遊戯王だったり、あるときは数独だったり。それは大抵の場合は人間関係に付随する。周りが変われば自分も変わる。子供の流行り廃りは単純明快だ。

しかし、学生でなくなると自分で遊びをコントロールしなければいけなくなる。世間の流れにしたがって行動する必要性はない。自分の好きなことを突き詰められる。寂しさを覚えれば仲間を探せばいい。幸せな世界だ。

世間で流行っているからという理由で遊ぶようなマネをしなくなる。遊びは自己管理できるようになる。だけど同時にそれは辞めるタイミングも自分が決めなければいけないという悩みでもある。

幸いなことにIngressはスマホゲームだからサービスが終われば自動的に終了する。でも、それ以前に自分はIngressを辞めるのだろうか?最後まで続けているのだろうか?

2015年もIngressは話題になっているのだろうか。プレイ人口が減っていけば自然消滅しかねない。もっと増えても別の意味で楽しさは減ってしまうかもしれない。

「飽きてしまった」という理由があればいい。それがなく、また流される形でやめてしまうのが一番つらい。

自分で区切りをつけて遊べる大人に、はやくなりたい。たぶんこういうのを「デモデモダッテ症候群」とかいうのだろう。こういう大人が大嫌いだ。